「適応」するジュエリー、それが「JUNKINTSUGI」。

コラム

「ヤヴァイから、ここへ行きなさい。」と信頼する友人に、住所だけを教えられ、言われるがままに金沢市内のあるところへ向かった。そこは、「北陶」。

金沢の加賀百万石の藩老、本多安房守の下屋敷跡庭園内にある「北陶」は、陶芸教室として知られています。

この庭園は、「兼六園」の手本にもなったとされ、市の中心部とは思えないほどの静けさと豊かな自然に囲まれています。入口が分かりにくく迷いましたが、突如として現れる美しい日本庭園と工房は、言葉では表せない不思議な空間でした。

300年以上前の「刀蔵」を改装したもので、昔のままの太い梁や柱がその歴史を語っています。

 

歴史を感じさせる、まるで時が止まったかのようなこの空間で陶芸に没頭できるのは、まさに贅沢そのものです。

この場所で陶芸に出会えたこと、そしてそれを繋いでくれた友人には感謝の気持ちでいっぱいです。
師匠の名は飯田雪峰。

下駄に羽織、頭には数珠のような頭飾り。
何十年もの間、頭にビーズを乗せている師匠は、「ビーズをかぶるとスイッチが入る」と言います。
「ほら、見てみて!」と、重力に逆らえなかったビーズのような形をした陥没した頭を指さしてきた。
変わった人だなと思いながら、そのユニークな姿と思考にビビッと一目惚れしました。
師匠の言葉からは、深い知恵と哲学が感じられ、陶芸は「土の声を聞きながら作品を作るものだぞ」と教えてくれました。

 

この場所は自分にとってのナルニア国のようなもので、魂が安らぎ、創造の本能が働きます。

師匠との会話を重ねながら作品を作る時間は、私にとってかけがえのない経験です。

そんなある日、「純金で指輪を作ろう」と思い立ち、生まれたのが「JUNKINTSUGIエメラルドリング」。

金継ぎを思わせる有機的な線を2カラットのエメラルドで囲み、24金の地金を30g以上贅沢に使用し、重厚感のある作品を創りたかったのです。

私はデザイン学校に通っておらず、アート教育も受けていません。貧しい家庭で育ち、ファッションやアートを学ぶことは贅沢だと教えられました。

今となっては言えますが、スケッチができない、CADソフトウェアを使えない、ジュエリー作成の道具を扱えないことにコンプレックスを感じていました。

しかし、雪峰師匠との出会いと陶芸への触れ合いを通じて、たくさんの方々に出会い、影響を受け、ミラモアの作品を自分でワックスから制作したいという思いが芽生えたのです。

来日中に東京郊外にあるミラモア工房を訪れ、ジュエリー業界の「匠」と称される人物とミラモアのアトリエ長から直接学びながら、自分の手でワックスを削り、火を使い、「JUNKINTSUGIエメラルドリング」を完成させました。

このプロセスを通じて、雪峰師匠に陶芸を教わったのと同じように、ワックスの「声」に耳を傾けながら、自分自身の手と直接対話をしながら制作しました。純金は非常に柔らかく、普段使いには適さないとされていますが、変形や傷もこの作品の美しさを形成します。

金継ぎの哲学にある「不完全さこそが美」を受け入れ、純金を敢えて選び、このリングを指にはめることで、ただフィットするだけでなく、着用者の肌の一部として「適応」し、形を変えながら指に馴染んでいくようにデザインしました。

これらの「欠陥」はジュエリーの価値を高めるものであり、いい味が出るといいますか。それぞれの作品が持つ独特の魅力を形成します。純金は古代エジプト人やローマ人にとって、数千年にわたる切っても切れない関係を持っています。金は不死と神性の象徴とされ、来世への旅に不可欠な要素と考えられていたそうです。彼らは死後も人生が続くと信じ、故人が肉体と共に所有物を必要とするらしいですよ。

 

 

インスピレーションは至る所にあります。

それを見つけ出し、宝探しのように収集することは、アーティストとしての自分、そしてミラモアのブランドヴィジョニアとして、極めて重要な作業です。

18金の色味、純金の強烈さ、プラチナの冷たさ、パールの品性、そしてエメラルドの魅力。

これらを組み合わせることで、まるで歩く宝石箱のように自分はファッションを楽しんでいます。


自分に「適応」するジュエリー、それが「JUNKINTSUGI」。破損は終わりではなく、新たな始まりの証ですよ。

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